常磐幼稚園


タケシの幼なじみのマーくん・あっちゃんなどはみんなひとつ年長で彼らと同じ幼稚園に入園した。ここが何故か市内では
ちょっとお坊ちゃんお嬢ちゃん系のキリスト系の常磐幼稚園だった。彼の家は農機具屋だったがマーくん家はお医者さんだっ
たし、そんなベクトルも働いたのかな。

園外の時間に、野山を駆け巡った記憶は強いタケシだが、園内で過ごした様々な記憶に対しては薄い。「三つ子の魂百まで」
とはよく言ったもので彼の学園嫌いは既に身に付いてしまっていた。

この写真は1966年3月の卒園お別れ遠足。「虎尾山・とらおやま」という、地図では右下納まりきれない所に現在も立つ。

以下webによる検索の文章。

現在、山への参道は草木に覆われた獣道のようになっていて、頂上には明治聖代戦役記念碑として昭和3年(1928年)より日露
戦争の記念碑が建立されている。

昭和20年(1945年)1月の外宮への空襲がきっかけとなり、同年2月に宇治山田防空隊が組織された。高射砲大隊、照空中隊が
あった。古代に3基の古墳が築造されたと考えられている。長さ約25.5mのトンネル(虎尾山トンネル)でこの丘を貫通し、昭和
44年(1969年)に近鉄鳥羽線の宇治山田駅・五十鈴川駅間が開通した。戦役記念碑は昭和40年代に何者かによりもーれつア太郎
に登場するニャロメの落書きをされたことからニャロメの塔と呼ばれた。

近年は、戦役記念碑を訪れる者も無く荒れ果てる状態となっていたが、地元の特定非営利活動法人(自利利他)や、伊勢市を
舞台にした小説『半分の月がのぼる空』(橋本紡/著、電撃文庫)の作中で、主人公とヒロインに縁の深い場所としてこの山が
出てきたことから、そのファン等が日本全国から集まり、協力して定期的に山の清掃活動や整備をして(この活動には原作者
の橋本も参加している、なお作中では、この山の名前は砲台山で頂上には旧日本軍の砲台跡があるという設定だが、実際の山
にはない。

なるほど、この通称「ニャロメの塔」とはタケシたちの少年期にもよく言ったからこの遠足写真が昭和41年で、そのときニャ
ロメが描かれてた記憶が無いとのことだからコレ以後何ものかが描いたのであろう。しかしこの地点でタケシがイヤミ(赤塚
作品のニャロメの親戚)のギャグの「シェー」をしてるのが感慨深い。ナンセンスの色濃い時代性というものなのか?

地方都市のランドマークと小説、三島由紀夫の潮騒の「監的硝・かんてきしょう」などとのアナロジーで戦争や軍国だった
日本の過去がこんなところに生きていたりする。



東方の3博士「聖しこの夜」って伊勢で育って、神道と違うのか君?



今は柵が付けられた外宮正殿前の池、落っこちたところで自己責任ですよね。

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