夜、外食をすることになりました。今日はフレンチ。さて、あなたはどんな時間を過ごしますか?何を頼んで、何を飲みますか?

 フランス料理を食べに行く、イタリアンでも他の外食でも、出掛ける時から、それは既に始まっています。服を選んだり、靴やアクセサリーを身に付ける。店のドアまできたら、もう舞台の袖に立っているような気分です。
 店に入れば、そこはもう舞台の上。客として店の一部になります。お客こそが店を構成する最大最強のエレメントですから、それなりの自覚をもって食事に臨みます。

 さて、 テーブルに付いて注文をします。もちろん、最初はシャンパンから。テーブルに並ぶ洒落た料理、僅かに黄味を帯びた上品な白ワインの横には赤ワインのガーネット色が白いテーブルクロスに映え、ゆっくりと食事が進んでいきます。
 ワインの色から、昨日見た映画で言っていた「バーガンディ」ってこんな色?という話を、同席の家具職人に振ります。そのうち同じ映画に出てきたホテルのインテリアについての話しになり、衣装の話になります。それはいつしか歌舞伎の衣装の話になり、歌舞伎とオペラとの比較になり、音楽の質の違いになります。
  すると、隣の席の人がバイオリン販売をしているとのこと。私たちの会話に興味を持ったその人からうっかり椅子に置いたまま尻で践んでしまったバイオリンがほとんど完璧に再生するという話を聞きます。

 そういえば、この間「かげろう」という映画に出ていたエマニュエル・ベアールがバイオリン奏者の役で出ていた映画があった。という話になりました。ところがタイトルが思い出せません。料理を運んできた青年に聞いてみます。青年は首をかしげたあと、「美しき諍女?」と言います。その場の全員に「違うー!」と言われ、「他の者に聞いてみます」と言って引っ込みます。
  しばらくしてから別の青年が出てきて「それは『愛を引く女』です」と言います。皆の胸のつっかえが取れ、青年にはお礼にワインを一杯ご馳走します。映画は大して面白くはなかったが、エマニュエル・ベアールの体型がすごい。それなら、「ピアノ・レッスン」のホリー・ハンターも、という話から外国の女と日本の女の体型のちがい、コルセットから江戸時代の歩き方の話に話が及びます。すると、反対側のテーブルのお客さんは接骨院の人で、体型の違いは骨の違い…という説明を受ける…
 このように、様々な要素を盛り込んでフレンチで夕食という舞台を楽しむことができます。

 そこに必要なのは料理やワイン、洋服や靴などのファッション、インテリア、植物、音楽といった「舞台」を支える小道具です。 
  演出として、カトラリーの扱い、食事の作法、身のこなし、洒落た会話は欠かせません。
 脇役陣として、切れのいい会話ができるスタッフ、個性的な他のお客などが必要です。
 共演者(同席者)が大切なのは言うまでもありませんね。

 飲食は「舞台」。それが私の持論です。食事の空間を作り上げる喜びがいくつものテーブルに存在する。それが理想的な店であり、ライブ感溢れる店だと、私は思っています。テーブルとテーブルとの間にある緊張感と連帯感。自分が今、この店の一部で、この店を作っているのだという自負がライブ感を生み出します。

 パリやローマ、ニューヨークやブリュッセル。外国の店では、かなりの頻度でこういったことが起こり得ます。、反対に日本ではどうでしょう。

 残念ながら、ほとんどの店でこういったライブ感、「店が生きている!」という実感を持つことはありません。お客が自ら楽しもうとせず、「楽しませてもらおう」とばかりしています。
  フレンチに行ったって、周りは皆水を飲んでいます。シャンパンやワインなど飲んでいる人の方が珍しいくらいです。また、各テーブルの周りには厚いガラスの壁があるかのように、周囲に干渉しません。大変不味そうに食事をする人もいます。テーブルに肘をつき、猫背で食べています。まったくおしゃれでない人もいます。トレーナーにジーンズ。ひどい場合は健康サンダルの人がフレンチのダイニングにいたりします。そうなると、楽しい時間を過ごしにおしゃれして行ったこちらが間抜けみたいになってしまいます。
 スタッフのサービスにしてもそうです。「こちらイサギのポワレ○○のソースでございます」という説明に「イサギって今が旬?」なんていう普通の質問にも答えられなかったりで、四角四面でマニュアル的なサービスばかりが目立ちます。

 「お待たせしました。最も性欲の強いと言われている動物の料理をお持ちしました。」と涼しい顔をして兎料理を持ってきてもいいわけですが、そう言ったことは全く期待できません。(そう言う場合は、お客もちゃんと突っ込んであげましょう。次に豚料理を持ってきたなら「これは比較的きれい好きの動物ですね?」とかなんとか…スタッフもこれに応えなくてはいけないのは、言うまでもありませんが)
  例えアンティークの小物が配置されていたり、高価な皿や食材を使っていたとしても、そういった自覚の足りないお客さんやスタッフがいるだけで、空間として非常に未熟で幼稚なものになってしまいます。

 でも、悲観することもありません。ライブ感たっぷりの場所もあります。それは昔からの居酒屋です。昔からのお客さんがうわーーっとなって飲んだり食べてしています。そういう場所では自然にお客と店が一体となって空間を作っています。

 人はどうして外にごはんを食べに行くのでしょう?どうして飲みに出るのでしょう。何かを探しに行くため?自分を探すため?何かを求めている?少なくとも「非日常」を求めているはずです。
  では、店としてはどうすれば良いのでしょう。おいしい料理、珍しいワイン、凝った皿。それだけでは足りません。お客さんが時間を過ごせる器としての店を整え、気持ちよく舞台で個性を発揮出来るようにする。脇役としてのスタッフを揃え、気の利いたひと言を言わせる。お客の方も「自ら楽しみに行く」という意識でもって店に参加する。
  要は「」なんですね。お客と店が一体となって、全てのエレメントが揃ったところで、初めて店が生き物のように動き出す。そういうライブ感のある店増えてくると、町も楽しくなってきます。だって、「人」のおもしろさ=「町」のおもしろさなんですから。

 

 


飲食講座は中谷武司のメールマガジン タブロイド《エメロン》 の中から連載を紹介しています。
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