生きるための経済講座

 先日、二見町の古い旅館で使っていた食器の即売会がありました。

 すごい人、人、人。お客さんのほとんどがおじさん、おばさん。いや……正直に言いましょう、狭い通路にうようよと蠢いていたのは、ハッキリ言って、おじいさんおばあさんばかりです。人を押しのけ、目を光らせ、商品をひっくり返し、袋いっぱいに食器を買っています。

 でもそれって、本当に使うの?一体どれだけ沢山の家族がいるというのでしょう。それとも、みんな家にあまり食器がない?いいえ、それらの食器の末路はおそらく、こうでしょう。

おばあさんが買いました
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食器棚に仕舞い込まれる。
   ↓
運が良ければたまに使ってもらえる
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おばあさんが死ぬ
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家族がおばあさんの持っていた大量の食器をを片づける
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もちろんその家族も自分ちに食器ぐらいあるので、余程のもの以外は不燃物として捨てられる

 みんな捨てられる(かもしれない)運命の食器を大量に買っています。
  そして、それらを収納するために、食器棚などの収納家具を買います。
  モノがない時代に生まれた人たちは、つい、モノを買い込んでしまう傾向にあるようですが、どうも、その年代の人たちだけがモノを買っているわけではないようです。
  先日行った小学校のバザーでもお母さん方がそりゃあ、沢山の生活用品を買っていました。タオルや台所用品、鍋、装飾品、電気スタンド。それだけではありません。100円ショップでも実に沢山のものをみんなが買っています。その100円ショップでも収納用品が人気です。買った物は整理整頓して仕舞わなければなりません。

   通信販売のカタログをみると、「収納家具」というコーナーがあり、それこそ沢山の種類の収納家具が紹介されています。食品や食器、調味料などの台所用品。洋服に下着などの衣類、本やCD、ビデオなど、ありとあらゆる物の収納が必要とされていて、実にバラエティーに富んでいます。収納するために大きな場所を取っていては、脳がないので、ちょっとした隙間にうまーく隠すことが出来、なおかつ物も入る、と言ったものに人気があります。

 毎日の掃除の他に、溢れかえるものの整理をしなくてはいけません。これが結構な労働です。模様替えなんてことになったら、それこそ部屋中にモノを出して拭いたり分類したり、大変なことになります。洋服の衣替えだって、家族分となれば一日仕事です。

沢山のものに囲まれて暮らすことは豊かな生活でしょうか。

 モノを沢山買う、ということは経済的な損失だけではありません。それを保管するための場所の損失、それを整理整頓するための時間、「どう整理しよう…」それについて考える時間の損失。

 新しいモノを買う前に、ちょっと考えてみましょう。
 もし、自分が死んだら、これらのものはどうなるのか。

 貴重なレコードや書籍、アンティークなガラス。価値のあるものはその価値が分かる人が引き取るか、もし、売ったとしても、またその価値が分かる人が買い手となって存在し続けるでしょう。
 それ以外のものは、殆ど捨てられるでしょう。

 前回、私の希望の一つに「1ヶ月の夏休み」と、書きました。もう一つの希望は、「身軽に死ぬ」という事です。人間、みんな自分が生きてきた証拠、自分の存在意義を示したいためにモノを残したがります。中でも最悪なのは「自分史」だと、私は思いますが、山のようなクズを自分が死んでから整理させたいですか?そんなことより、もっと心に残る別のことがあるはずです。それに、本当は普段から身軽でいられるのが一番いいのです。

 モノを捨てるということは「決断する」ということで、自分が選んで買った物をゴミにするという呵責を伴います。しかし、それを経験すると、次からモノを買うときに「ちょっと待てよ」と、思えるようになります。だって、だれもゴミにするモノをわざわざ買いたくないからです。ちょっと周りを見てみると、きっと捨てられるものが沢山あるはずです。収納家具なんか買っている場合ではありません。

何を捨てるか分からないときに読んでみるとよい本
「捨てる!」技術 宝島社新書
辰巳 渚 (著)

ガンガン捨てまくってもっと思考する時間を持ちませんか?


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