先日、二見町の古い旅館で使っていた食器の即売会がありました。 すごい人、人、人。お客さんのほとんどがおじさん、おばさん。いや……正直に言いましょう、狭い通路にうようよと蠢いていたのは、ハッキリ言って、おじいさんおばあさんばかりです。人を押しのけ、目を光らせ、商品をひっくり返し、袋いっぱいに食器を買っています。 でもそれって、本当に使うの?一体どれだけ沢山の家族がいるというのでしょう。それとも、みんな家にあまり食器がない?いいえ、それらの食器の末路はおそらく、こうでしょう。 みんな捨てられる(かもしれない)運命の食器を大量に買っています。 通信販売のカタログをみると、「収納家具」というコーナーがあり、それこそ沢山の種類の収納家具が紹介されています。食品や食器、調味料などの台所用品。洋服に下着などの衣類、本やCD、ビデオなど、ありとあらゆる物の収納が必要とされていて、実にバラエティーに富んでいます。収納するために大きな場所を取っていては、脳がないので、ちょっとした隙間にうまーく隠すことが出来、なおかつ物も入る、と言ったものに人気があります。 毎日の掃除の他に、溢れかえるものの整理をしなくてはいけません。これが結構な労働です。模様替えなんてことになったら、それこそ部屋中にモノを出して拭いたり分類したり、大変なことになります。洋服の衣替えだって、家族分となれば一日仕事です。 沢山のものに囲まれて暮らすことは豊かな生活でしょうか。 モノを沢山買う、ということは経済的な損失だけではありません。それを保管するための場所の損失、それを整理整頓するための時間、「どう整理しよう…」それについて考える時間の損失。 新しいモノを買う前に、ちょっと考えてみましょう。 貴重なレコードや書籍、アンティークなガラス。価値のあるものはその価値が分かる人が引き取るか、もし、売ったとしても、またその価値が分かる人が買い手となって存在し続けるでしょう。 前回、私の希望の一つに「1ヶ月の夏休み」と、書きました。もう一つの希望は、「身軽に死ぬ」という事です。人間、みんな自分が生きてきた証拠、自分の存在意義を示したいためにモノを残したがります。中でも最悪なのは「自分史」だと、私は思いますが、山のようなクズを自分が死んでから整理させたいですか?そんなことより、もっと心に残る別のことがあるはずです。それに、本当は普段から身軽でいられるのが一番いいのです。 モノを捨てるということは「決断する」ということで、自分が選んで買った物をゴミにするという呵責を伴います。しかし、それを経験すると、次からモノを買うときに「ちょっと待てよ」と、思えるようになります。だって、だれもゴミにするモノをわざわざ買いたくないからです。ちょっと周りを見てみると、きっと捨てられるものが沢山あるはずです。収納家具なんか買っている場合ではありません。 何を捨てるか分からないときに読んでみるとよい本 ガンガン捨てまくってもっと思考する時間を持ちませんか? |
ご意見、ご感想、ご質問等お待ちしています
yuki@emelon.net